振り返れば、そこに…

先日、通勤途中のパチンコ屋の前で開店を待つ人を見かけた。

学生時代から禁煙するまでは、
開店前に店の前に並ぶことはなかったものの、
ある意味、破産寸前まで、パチンコを興じた過去はある。

暇と時間があれば、たまには興じてみたい気もするが、
あのタバコ臭さには閉口してしまうので、
禁煙を止めない限り行くこともなかろう。


それにしても、今思えば、
これまで、パチンコに費やした時間やお金は
如何に無駄だったかと思うこともあるが、
この時間、お金による経験があったからこそ、
今の自分、生活があると思えば、
通るべくして通った道であるとも考えられる。


常々、過去にあ~していれば、こうしていればと思うこともあるが、
実現していた場合、今の自分、生活はありえないのではと思うことがある。


例えば、中学のときから、もっとバスケを頑張っていれば、
夢のまた夢ではあるが、ダンクシュートもできたかもしれない。
転じて、チームのエース的存在になりえたかもしれない。
などと振り返ることがある。

しかし、ありえない話ではあるが、
実現できていた場合、
例えば、どこかの実業団に入部していれば、
現在の職に就いていることも無く、今の生活を過ごしている事も無い。

例えば、もっと英会話を勉強していれば、
英語の仕様書も容易に読むことが出来、
海外メーカーとの交渉も通訳を介さずにできたものを…
と振り返ることがある。

しかし、過去に実現していた場合、
英会話ができると言うことで、職場の異動先が異なり、
転じて、知り合うべく人に知り合わず、
今の生活に結びつくことも無い。


そう考えれば、
これまでの堕落な生活も、
いまの幸せを掴むためのプロローグだったのかもしれない。


よく、運命とは
目的地は同じであるが、そこに辿り着く経路が異なるだけのことと聞く。
どんな回り道をしても、最終結果は同じであると言うことである。
例えば、ある目的地に行く場合、
交通手段としては、飛行機であったり、車であったり、電車であったり、
はたまた徒歩であったり、
経路も時間も異なるが、辿り着く場所は同じである。


ここで問題なのは、目的地が人生において、何処になるのかである。

今の生活が目的(最終結果)であれば、
前述した過去の要望が満たされていても、
今と変わらない生活+αがあるのかもしれないが、
今の生活が通過点のひとつならば、
これまた、前述した過去の要望が満たされた違った人生を歩んでいたのかもしれない。


考え方によっては、
前向きにもなるし、塞込む事にもなる。


結局のところ、過去を振り返り後悔しても何も始まらないと言うことを述べたかったのであるが、
いささか、回り道をしてしまったようである。







                                    感想を頂戴できれば幸いである。